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台湾の李登輝元総統に対する弔問団に思う

森喜朗元首相は8月9日、チャーター機で台湾・台北市を訪問し、7月30日に死去した李登輝元総統の追悼場が設置された迎賓館「台北賓館」を訪れ、李氏の遺影に花を手向けて弔意を表明した。

森喜朗元首相は弔辞で、「台湾はあなた(李登輝元総統)が理想とした民主化を成し遂げ、台湾と日本は普遍的な価値を共有する素晴らしい友好関係を築き上げた」と李登輝元総統の功績を称えた。

 

この弔問について、中国紙・海峡導報は8月12日、台湾の学者から「日本は台湾との友好よりも対中関係を気にしている」との指摘が出たと伝えた。

 

それぞれの立場でそれぞれの見方があるものだ。

森喜朗元総理による李登輝元総統への弔辞(於:台北賓館献花台)

 

弔辞

 

李登輝先生、

あなたの98年の生涯を思う時、私は人間と人間の絆の強さと素晴らしさを思います。私たちは何度も、肩を抱き、笑い合って、楽しい時間を過ごしました。あなたは台湾総統の経験者として、私は日本国総理として、それぞれの立場はありましたが、お互いの人間としての友情や尊敬は一度も揺らぐことはありませんでした。本日、私がここに立っているのもその証です。ただ、私の心が深く痛むのは、これが私たちの友情を確かめる最後の機会となってしまったことです。

 

私の父は、台湾ラグビーの星で、日本代表主将も務めた、柯子彰選手と同年でありまして、二人は早稲田大学ラグビー部で同じボールを追いかけていたそうです。総理を退任し、2003年に台湾を訪問した際、私は柯子彰選手の墓前で、父との友情への感謝と、二人の日台親善の思いが、父の世代、私の世代、そして更に次の世代へと受け継がれていくことを祈りました。それから17年、先日東京で、あなたの追悼記帳に伺った際、私は、大勢の日本人が長い列をつくって、あなたの遺影の前で祈りを捧げ、日台親善を願っているのを目にしました。

 

私たちの人間としての絆が、海を越え、立場を越えたように、今や台湾と日本の間には、 沢山の人と人との絆が出来上がっています。台湾は、あなたが理想とした民主化を成し遂 げ、台湾と日本は、自由と民主主義、人権、そして普遍的な価値を共有する、素晴らしい 親善関係・友好関係を築き上げました。きっと、あなたと私の友情も、次の世代へしっかりと受け継がれ、日台の親善関係はますます強固なものになっていくでしょう。

 

私の父と柯子彰選手が、国籍を超えて、同じラグビーボールを追いかけたように、あなたと私は、お互い政治的立場を超えて、アジアと世界の平和と繁栄という、同じ夢を追いかけました。戦後処理の嵐の中で、敗戦した日本が領土的一体性を守ることができた経緯を教えてくれたのも、あなたでした。私は、これからも、スポーツの力で世界の人々を繋いで、あなたの分も、同じ夢を追いかけていきたいと思います。

 

昨年、日本で開催されましたラグビー・ワールドカップは大成功をおさめ、そして来夏は、新型コロナウイルス感染症で一年延期となった東京オリンピック・パラリンピック競技大会が幕を開けます。東京のあなたの追悼記帳台では、あなたが好きだった「千の風になって」の音楽が流れていました。今日またこの御霊前で「千の風になって」を聞くことが出来ました。2021年7月23日、東京オリンピックの開会式には、きっと優しい風が吹くことと思います。その時、私は、空を見上げて、東京オリンピック・パラリンピックの成功を祈ってくれている、李登輝先生、あなたの魂とあの笑顔を感じるでしょう。

どうぞ安らかにお眠り下さい。

森喜朗

(公益財団法人日本台湾交流協会サイトより転載)

森喜朗元総理、李登輝先生への弔辞後の記者会見

 

記者からの

  • 李登輝元総統の最も大きな国際的貢献についてのお考えをお聞かせください。
  • 森喜朗元総理と李登輝元総統は個人的にどのようなご縁があったのか。

という質問に対して。

 

 

日本の国会議員団は党を超えて李登輝先生のお話を聞くことに大変関心を持っておられます。

それは日本人が知らなかったことをむしろよく知っておられる方です。

日本が敗戦の中で自虐的になり、自分たちの国の責任というようなことに思いを強くしたために、日本に対する自信を持ってなかった。

李登輝先生は、勇気をもって日本人はもっと誇りを持つべきだよ、と強く仰っておられました。

これは日本中、国内の色んな所でご講演されまして、大変感銘深く、もっともっと日本人が日本人として国際的な貢献ができるように、そういう努力をしろ、という李登輝先生の教えだろうと思って皆が大変喜んでおりました。

 

また私も李登輝先生と近い年齢でありますので、 私自身もいろいろ知らないこと、当時の終戦の秘話を教えて頂いて勇気を持った一人でもあります。

 

どういう貢献があるかというと枚挙にいとまがないほどでございますが、日本に対し自信を持ちなさい、と言って敗戦国の日本が今日まで頑張り抜いてこれたその基礎的な力は李登輝先生の教えによるものが大きかったと思っております。

 

どういうご縁か、一番深い関係を申し上げれば、李登輝閣下が総統を終えられた後に、昔ご自分が学ばれた日本へ行って、体の治療や健康のこともあるということで、日本に入りたいというご希望があったんです。

 

その時に・・・・・、中国の北京の方からの働きかけがあったといいましょうか、台湾の政治主導者は日本には入れない、というお話がありました。色々複雑なものがございました。

 

日本政府はビザの発給について慎重であれ、ということがずっと懸案事項になっておりました。

結論から言えば、私が総理の時に日本にお帰りになることは健康上の問題、人道上の問題ということで、日本に入っていただくことは正しいことだ、と私はそう判断をしてビザの発給を認めたということです。

一番何がと言われればそのことかなと思うし、今もご遺族ご家族からもそのことに対して大変感謝をしている、というお話をいただきました。

私は日本国の責任者として人道的な立場で、李登輝先生に若き時代学ばれた日本に来たい、という気持ちに何とかして添いたいと、人間的に判断をしたということであります。